ば本木昌造先生が侠氣ありて己がいささかも係はらぬ事柄なるに他人の罪を救はんとて無實の罪を身に引受けられたるなりと云ふ」と書いた。「世界印刷通史日本篇」は單に「事ありて」と詳述を避け「本木、平野詳傳」は、この出來事についてもつとも詳細に記録をあつめてゐる點ですぐれてゐるが、「苟くも偉人たる本木昌造先生の名を傷けるものとして」入牢否定説に終始してゐる。つまり否定にしても肯定にしても、「入牢といふ不名譽」から昌造を無理矢理に引き離さうとしてゐる點で一致してゐるのである。
 しかし昌造の生涯にとつて大きなこの事件は日本の活字の歴史にも關係があるので、私もべつに新らしい材料を持つてゐるわけではないが、出來るだけ考へてみたい。「印刷文明史」は福地の説「他人の罪を救はんとて無實の罪を身に引受け云々」を敷衍して「――然るに氏の實兄であつた品川梅次郎なるものは、遊蕩の性なりしため、昌造氏の購求し居る洋書類を、密かに江戸の武士達に賣付けた。洋書に趣味なき武士達は、これらの蘭書類を洋學者連に高價に賣却して遊蕩の費に當てたなどのことが累を爲して、遂に昌造氏は牢屋に閉居せしめられ」たのだと書いてゐて、「入牢肯定
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