十一月までといふ長期である。これは昌造の生涯にとつてほんの「躓きの石」くらゐではないだらう。前にも述べたやうに、通詞に對する罰則は一般にきびしくはあつたが、しかし「印刷文明史」のいふところを信じても、單に蘭書購入方取次といふだけではあまりに過重ではないかといふ氣がする。
「天文臺の諸役人」は幕府の外國關係の役所である。しかも安政二年には蘭書の輸入が間にあはなくて、長崎奉行西役所内に印刷所をつくつて「日本製洋書」をこしらへた程である。そして昌造を訊問した水野筑後守は「下田談判」當時の次席應接係で、昌造はその配下であつた。昌造の養父昌左衞門は通詞目付で現存してゐて、假に多少の私情がものをいふとするならば相當の力もあつた筈である。しかも昌造は「長崎談判」以來、長崎通詞中功勞のあつた人間である。嘉永の初期とちがつて尠くとも表面的には緩和されてゐた筈の「蘭書購入取次」くらゐが、何故にそれ程の重罪に問はれなければならなかつたらうかといふ氣がする。
「本木傳」の多くが彼の入牢を「ほんの躓き」とする傾向をおびてゐる。福地源一郎は「同年本木昌造先生故ありて入牢せられぬ。その故詳ならず、人の傳ふる所に依れ
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