和守殿に左之伺書留守居共持參差出候處、被請取置、同八月廿三日、同所え留守居共被呼出、右伺書え付紙を以て被差返上、則左之通」と土佐藩記録にあつて、「今度大船製造御免被仰出候ニ付、爲試」と、一ヶ月の短時日を以て幕府も許可してゐる。昌造の雛型提示が前記したやうに七月朔日に始まつてゐるのだから、土佐藩の伺書提出はそれによつて決定したものだらう。そして昌造の雛型及び監督によつて建造された江戸において最初の蒸汽船はどんなものだつたらう。同じく土佐藩記録はその伺書の内容を次のやうに誌してゐる。「蒸汽船一艘、長サ六間、横九尺、深サ五尺四寸、砲數二挺」といふから小さいながら一種の軍艦であつた。「右之通雛型、築地於屋舖内、手職人エ申付爲造立度、尤長崎住居大工幸八ト申者、此節致出府居候ニ付、屋舖エ呼寄、爲見繕申度、出來之上於内海致爲乘樣、其上彌以可也乘方出來候時ハ、海路國許エ差遣シ、船手之モノ共爲習練、江戸大阪共爲致往還度、彼是相伺候、可然御差圖被成可被下候、以上、閏七月廿四日、松平土佐守」
 船が出來たらばまづ江戸内海において運轉させ、それから國元土佐へ送つて藩の船手共へ習練させる、上達したらば江戸、大阪
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