た。
 縫は昌太郎の次に安政四年小太郎を産んで、その翌年七月死亡した。長男昌太郎はそれより四ヶ月前、縫に先だつてゐるが、小太郎は明治になつてから、民間に始めて出來た活字製造會社「東京築地活版」の社長となつた人である。のち、昌造は後妻タネをむかへ、清次郎、昌三郎をなし、他に妾某との間に娘松があり、晩年には子供は出來なかつたが妾タキがあつた。娘松を産んだ妾某は、元治元年昌造が八丈島に漂流した折にできた女であるが、かうした多端な過程にみても、彼の結婚生活はあまり幸福ではなかつたやうである。後妻タネの死亡年月は不明であるけれど、清次郎を元治元年に、昌三郎を慶應三年と、矢繼早に産んで、それきり後絶してゐるのをみると、二度目の妻にも先だたれたのか知れない。いはば女房運の惡い人であつて、そのことが最初の妻縫が十三四歳で結婚し、十九歳の短生涯で終つたことや、昌造が生れたての赤ン坊と結婚式を擧げねばならなかつたことや、そんな不自然さと結びついてゐるやうに私には思へてならないのである。
 昌造自身、かういふ當時の男女風習についてどんな見解をもつてゐたか、彼の今日殘る著書のうちにも示してゐないのでわからない
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