の港々の通詞でなければならず、蘭語は勿論、英語、露語、佛語の通詞でなければならなくなつてゐた。そしてもつと重大なことは、いま一つ彼等通詞が、單に通辯であることだけで止まつてゐられなくなつたことであらう。異人語に通じて異人の文化を知つた以上、そして祖國がそのために困難に陷つてゐる以上、彼等はその人間個性を通じて、夫々の方面に分化し、夫々に實踐しなければならなかつたのである。
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        最初の印刷工場


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      一

 第三囘めのロシヤ使節が長崎へ來た嘉永六年は昌造三十歳であつて、この年はじめて父となつてゐる。當時の慣習からすれば晩い方であらうが、妻女縫はこのとき十五歳で長男昌太郎を産んだのである。三谷氏の「詳傳」家系圖によれば、縫は養父昌左衞門と後妻クラとの間に、天保五年四月に出生したのだから、正確には十四年と何ヶ月であり、ずゐぶん若いお母さんである。したがつて昌造らが結婚したのは、恐らく昌造二十八九歳、縫十三四歳のときであつたらう。
 縫と昌造は從兄妹同志である。「印刷文明史」の著者は「氏は元服を加へたるとき、家女と結
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