爲致度、御用相勤候樣――申渡候に付、明後朝頃は必定其地到着可致候間――且又今七ツ時頃、夷船遠沖に相見え――」云々と、下田奉行へ川路は書いた。
まつたくの非常時局で、通詞はその最前線であつた。これは三月四日付戸田村からで、「夷船遠沖に相見え」は、翌五日最初に下田沖に出現したフランス軍艦のことらしいが、通詞らはその軍艦にも一々乘付けて來意をただし應接しなければならない。昌造が病躯をおして駕籠にゆられながら十里の山道を下田に越えねばならぬのも「餘儀なき」ことであつた。
下田の町を歩き※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]るのは玉泉寺のアメリカ人ばかりではない。プーチヤチン歸國後もまだ船が足りずに百人前後のロシヤ人が殘つてゐた。その他あらたに入つてくるアメリカの他の捕鯨船などもあつて、準備の出來てない當局役人は取締に繁忙をきはめた。幕府傳統の切支丹は取締らねばならず、「當港之儀は異人遊歩をも被差免候事に付、きりしたん宗之儀、彌々に停止之、不自然なるもの有之節、申出御褒美被下候儀、若しかくし置あらはるるに於ては、夫々被行罪科候――」といふ觸書が出、「町在之もの、異人と直賣買堅致間敷」とい
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