通詞人少々にては甚だ差支へ、自然御取締にも拘り、其上當表之儀は、缺乏品、相調候ため渡來之異船而已にては無之、何國之船、何時渡來致すべきやも難計、此上共追々御用多に相成、迚も兩人にては手足兼――五人増人被仰付候樣仕度旨申立之趣も有之、いづれにても増人被仰付――尤も長崎表之儀も當節御人少之由、殊に重立候もの當表へ罷越候ては同所御用筋差支可申哉に付、小通詞助以下三人早々當表え差越候樣、長崎奉行え被仰渡候――」云々といふのは、二月二十五日に川路から老中宛の上申書で、その附書には、堀達之助、志筑辰一郎兩人下田詰合通詞の、下田奉行への増人方願文がある。
まつたく下田詰合二人では無理であらう。蘭語に通じた學者や侍は、當時日本全國では尠くなかつたらうが、通辯となればまた別で、加へて通詞といふのは一種の職人として扱はれてゐたから、前文中にも見えるとほり、長崎奉行の支配を受けねばならず、たとひ蘭語が喋れる學者や侍でも、進んで通詞にならうとはしなかつたらう。おまけに長崎通詞は蘭語が主であるが、條約を結んだ相手は米、露等であつて、三月一日に下田奉行が川路宛に愬へた書翰に、「只今同所に罷在候亞米利加人共は、蘭
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