このときの昌造の勞苦を謝して、翌年ロシヤ政府は金時計を贈つたとあるが、プーチヤチンは歸國に先だつて日本側委員に贈物したときも、昌造には「湯ワカシ一個、繪二枚」と記録にある。「湯ワカシ」とはロシヤ名物の「サモワル」のことと察せられるが、川路に「セキスタント一箱、寒暖計一本、繪五枚」、森山に「寒暖計一本、毛氈一枚」、堀達之助や他の通詞たちは「布地若干」などと比べると、ほんの贈物ではあるけれど、昌造がロシヤ人に比較的ふかく感謝されてゐることがわかるやうだ。
しかし昌造たち通詞も嘉永末年以來、急速に忙しくなつてゐた。新たに開港された蝦夷の箱館にも常住の通詞をおくらねばならなかつたし、長崎は長崎で新たに英國にも開港した。下田は下田で條約調印のその日から捕鯨船などがやつてきて、アメリカ人が上陸徘徊するといふ次第で、長崎通詞はいまや長崎だけの通詞であることが出來なくなつてゐた。
「下田表に詰合罷在候阿蘭陀通詞之儀、是迄兩人に候處、異船渡來之節は、應接並びに飜譯もの、薪水食糧缺乏之品送り方等、勤向悉く多端にて、其上異人共遊歩の節、謂れ無き場所へ立寄候歟、又は多人數上陸等いたし、萬一混雜等有之候節は、
前へ
次へ
全311ページ中239ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳永 直 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング