一日に一度出帆したが、沖合に待ち伏せてゐる佛軍艦を發見して引返し再び二十二日に出帆、やがて沖合に姿を消した。このスクーネルが銅張りだつたことは、まだわが國が鐵板製造に未熟だつたせゐであらう。ロシヤ人はスパンベルグ以來、いつもオホツク港で鐵張りの新船を建造する慣はしで、プーチヤチンも日本下田で船をつくらねばならぬ窮地に陷らうとは考へてゐなかつたにちがひない。「魯西亞人下官之内、船大工之者三四人有之、其餘大工鍛冶心得候者有之候間――布恬廷並士官之内三四人自身繪圖面歩割等以墨掛注文仕、多くイギリス國之書籍を以證據と仕候旨、通詞のもの申聞候――」といふ川路から老中への上申書中にみえる文でも、せいぜい破損修理に備へるくらゐの技術者たちであつたらう。海軍中將プーチヤチンはじめ半ば素人が總がかりでスクーネル一隻を作つたわけで、それは却つてこれに參加した日本船大工にもおぼえやすかつたらう。文中「通詞のもの」とあるはたぶん造船場付の昌造にちがひなく、彼はロシヤ人について伊豆一圓を歩き※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]つた木材買入れの最初から、その進水式まで關係してゐた。三谷氏の「詳傳」によれば、
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