所へ參る、日本之船大工異國の船大工集り候て働居申候、日本の方今は上手に相成候由――」と書いた。プーチヤチンから贈つたスクーネル繪圖面一切は川路より老中へ送られ、阿部は「――伊勢守殿へ御覽に入れ候處、軍艦には不相成共、至極便利之船に相聞候間、いづれにも一艘早くに打建」てよと命じ、ここに洋式造船術の一部がわがものとなつたわけであつた。
このスクーネル船は長さ十二間、幅三間で、時の値段で三千餘兩かかつたと誌されてゐるが、前記の「古文書――卷ノ九」の冒頭にはこのスクーネルの進水式の繪がある。作者はたぶん伊豆代官江川の家へ食客となつてゐた無名の畫工だらうと謂はれる。その繪は當時の形を傳へて面白い。銅張りの船は青いロシヤ國旗を掲げていま水面に辷り出したところ、まはりには兩手をたかくあげた水兵風のロシヤ人大工たちと、丁髷に鉢卷、股引に草履の日本人大工たちが腕拱みして見おくつてゐる。群衆のなかに一きは背のたかいロシヤ人で何か祷りを捧げてゐるらしい宣教師と、羽織の裾を刀でピンとつつぱつた日本の侍とが、ならんでたつてゐる風景も歴史的な感じがでてゐる。
プーチヤチンはこの新造船に乘つて歸國した。三月二十
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