心」であつた。
「ヘエ、でも署名がちがふぢやないの?」
 四六判の小さい書物は津田といふ人の著書になつてゐる。
「さうですよ、津田といふ篤志な人で、いはばパトロンですね、文章を綴つた人も三谷氏ぢやない。三谷氏はこの中にある澤山の開拓者たちの遺蹟を足で探しあるいた人ださうですよ。」
「ホウ!」
 と、私は心から云つた。三谷つてどんな人か知らないが、この本を最初讀んだときから大變な仕事だナと感心してゐた。それには本木や本木の協力者平野富二の略傳もいれてあつたが、その他數十人の近代印刷術のために苦鬪した人々の事蹟が、長短いろいろではあるが調べられてあつた。加藤復重郎といふ日本最初の鉛版師、つまり紙型をとつて活字面を鉛の一枚板に再製する工程であるが、紙型は雁皮紙を數枚あはせれば凹凸が鮮明になることや、スペースと活字面の高低にボール紙を千切つて加減をとればいいといふことや、簡單のやうなことでも、それを發見するまでのさまざまの悲喜劇を織りこんだ苦心の徑路は、たとひ印刷業關係者でないものでも身うちの緊きしまる思ひがする。今日の活字の字形を書いた竹口芳五郎といふ人は、平野富二に見出されるまで、銀座街頭
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