とか「日本艦船史」とか「川路日記」とかをあげた。「日本渡航記」はロシヤ使節プーチヤチンの長崎來航で、いはゆる長崎談判、この文章のうちに通詞として「昌造」といふ名が二度出てくるとか、同じプーチヤチンの下田談判には昌造がもつと活躍してゐるから、日本側の立役者川路聖謨の日記をよめば、彼の事蹟が少しは出てくると思ふが、この文獻はまだ讀む機會を得ないとか、「日本艦船史」は元來製鐵造船の先覺でもあつた本木の時代を歴史的に知るに好都合とか、べつに本木傳を書く氣はなくても、H君の話は興味があつた。
「あなたは三谷幸吉といふ人を知つてゐますか?」
自分の話に一區切つけてからH君が云つた。
「ああ、百科辭典の本木傳に引用されてる人ですネ。」
私はそれだけしか知らなかつたので、さう答へた。するとH君はいくらか不滿げに「ええ」とうなづいて、また云つた。
「本木研究ではこの人が代表的ださうですよ、ぼくもつて[#「つて」に傍点]がなくて會つたことないんですがネ、そら、この本も實際の著者は三谷氏なんださうですよ。」
H君が扇子でおさへたのは、私がいまH君に返さうと思つて、膝の上においてゐた「本邦活版開拓者の苦
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