術を語ることが出來る、といつた程の大きな峯ではないかと、ひとりで不滿に思ふのだつた。

      三

 昭和十六年の夏になつて、ある日H君といふ若い人が訪ねてきた。會ふのは始めてだが、私がいつか書いた印刷文獻に關する隨筆が縁になつて、「本邦活版開拓者の苦心」といふ書物を送つてくれ、二三度文通したことがある。H君は關西の人だが、最近上京して下谷方面の印刷工場で植字工をしながら、「本木昌造傳」を小説風に書きたいために、文獻をさがしてゐるといふ人だつた。さつぱりした白麻の詰襟服を着て、この職業特有の猫背で、痩せて、淺ぐろい顏である。
「あなたも昌造傳を書くんですか?」
 せつかちと見えて、坐ると詰襟の釦をはづしながら、すぐ云つた。
「いやア、そんなわけでも。」
 私はわらひながら答へた。實際私にはまだかくべつな目的はなかつた。第一本木昌造について殆んど知らないのである。
「いえ、本木傳はみな似たり寄つたりで、詳しいものはないやうですよ。だからネ、ぼくはあの時代の他の文獻から、外廓的といふか、そんな風に探してるんですよ、え。」
 また詰襟の釦を弄くりながらH君はゴンチヤロフの「日本渡航記」
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