生産されることにある。そして本木昌造はそれを作つた。全然の發明とは云へないまでも、日本流に完成したのである。凡ゆる日本印刷術の歴史家たちもひとしくそれを認めてゐる。彼等は本木を近代日本印刷術の「鼻祖」といひ「始祖」と書いてゐる。
 私は本木の寫眞を飽かず眺めた。五つ紋の羽織を着た、白髮の總髮で、鼻のたかい眼のきれいな、痩せた男である。刀をさしてゐるかどうか上半身だけだからわからぬが、どの著書でも同一の寫眞であつた。それに私のやや不滿なのは、この近代活版術の始祖、日本のグウテンベルグとも謂はるべき人についての記述は、どの著書でも二三頁であつて、どの文章でも出典が同じらしく、幾册讀んでも新らしいものを加へることが出來ないことだつた。
 本木昌造についてもつと知りたかつた。西郷隆盛や吉田松陰について知れるがごとく知りたい。私は肝腎のところへいつて物足りない氣がした。勿論研究などといふもので、新事實を一つ加へるなどどんなに大事業であるかは察することが出來る。しかし多くの著者は本木の活字完成を印刷歴史の一齣としてゐる傾向があつた。或は初心者の獨斷か知れぬが、本木の完成あつてこそ、日本の過去の印刷
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