れてゐた。しかもそれはけつして船ばかりではなかつたらう。
 とにかく當時の心ある日本人は、どんなに急激に眼をさましても追つつかぬやうな氣持であつたらう。殊に當時の制度では、海外知識の觸角であつた長崎通詞など、すぐれた人物は一樣にそんな氣持だつたと想像できる。大通詞西吉兵衞は西家十一世で、さきに開國勸告使節の「パレムバン」が來たときオランダ國王の親翰を江戸へ護送した責任者の一人、そして高島秋帆が師事して砲術を教はつた人である。大通詞過人森山榮之助はのち多吉郎と改めて幕府直參となり外國通辯方頭取となつた人で、前記したやうに川路のために英書を飜讀して北邊事情を明らかにしたが、彼の英語はアメリカ捕鯨船の漂民が崇福寺の牢屋敷にゐたのを日夜訪れて學んだものだといふ。しかも彼ら通詞が外交の舞臺でさへ扱はれた身分といふものはまことに低いものであつた。
「――全權は四人とも一列に並んだ。そして雙方禮を交した。全權の右手には兩名の長崎奉行が座に着き、左には江戸から來た高官とおぼしきものが更に四人ゐた。全權達の背後には、小姓が見事な太刀を捧げて坐つた。――全權達は話したいといふ合圖をした。すると忽ち、どこか
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