いふ筒井や、齊昭でさへ一目おいたといふ川路らが、その任に選まれたなども、困難だつた當時の事情を語るものであらう。
「日本渡航記」はヨーロツパ人の優越感をもつて書いてゐる。「――日本人は軍艦に向つてはどうすることも出來ない。彼等は小舟より他に何も持たないからだ。この小舟には、支那の戎克と同樣に蓆の帆や、極く稀に麻の帆がついてゐて、そのうへに艫部が開け放しになつてゐるので、海岸だけしか走れない。ケンペルは自分の居た頃、將軍が外國に行ける船舶の建造を禁止した――と云つてゐる。」「ニツポン、ヨウジンセヨ!」
 ところが、そのとき長崎にきたプーチヤチンの「デイヤナ」も、江戸にきた「ペルリの黒船」も、せいぜい四百噸ないし五百噸以下の蒸汽船だつたと、今日明らかにされてゐる。しかも當時の新知識といはれた川路でさへが、その翌年プーチヤチンが下田へきて、例の海嘯で破損した「デイヤナ」が宮島沖で沈沒したとき、「城をうかべたやうな黒船が」と日記に書いてゐる。聖明を蔽ひ奉り、國を鎖して、船といふ船が日本の海岸だけしか這ひ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]れないやうにした封建政治の矛盾はかういふ風にあらは
前へ 次へ
全311ページ中185ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳永 直 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング