席大通詞過人森山榮之助兩人で、以下大通詞志筑龍太、小通詞過人本木昌造、小通詞楢林量一郎、小通詞助楢林榮七郎等が活動した。
この「長崎談判」がロシヤ側から云はせれば不調に終つたことは周知のとほりである。通商は拒絶、北邊の國境問題も未解決のままで、プーチヤチンは再渡を約して去つた。これだけでみると、第三囘使節も前二囘の使節と同じ結果のやうだが、このときはロシヤ側の贈物も受取られたし、日本側からも贈物をした。また他日オランダ以外と通商するやうのことがあれば、隣國の誼みとしてロシヤとも通商するといふ言質を與へられたから、レザノフの場合といくらかちがつてゐる。殊に雰圍氣的にいへば、前二囘にくらべてずゐぶん緩和したものであつたといふ。
外國の使節が長崎にきて、江戸の應接係がそこへ到着するのに半年ちかくもかかるのはいつもの例であるが、このときは江戸と長崎の間が遠いからばかりではなかつた。周知のやうに、このときも水戸齊昭の頑張りによつて「通商拒絶」といふ方針が決するまでは、「以夷制夷論」などが生れて評議は永びいたのである。「ぶらかし案」の變形みたいなもので、つまり傲慢なペルリに通商を許すよりは、ス
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