な風にしてロシヤの黒船は、七月の十六日、ちやうど盂蘭盆の精靈舟がただよつてゐる長崎港に入つてきたのであるが、ここにいふケムペルとは、ドイツ人エンゲベルト・ケムペルのことで、元祿二年から四年まで出島の商館長だつた人物、歐洲では日本研究家として知られてゐるが、彼らは「謎の國」についていろいろと豫備知識を養つてゐたことがわかる。それにくらべて昌造らの位置は洋書さへ嚴禁であつた。しかも歴史のめぐりあはせは面白い。昌造と「オブロモフ」の著者ゴンチヤロフとは親しく顏を合せたのである。
「――元日の晩、艦ではもう皆が眠つてしまつてから、全權の(日本の)使として二人の役人と二人の二流通譯、昌造と龍太をつれてやつて來て、二つの質問に對する囘答をもつて來た。ポシエツト君は寢てゐた。私は甲板を歩いてゐて、彼らと接見した――」

      五

 長崎港に入つたロシヤの軍艦は、七月の中旬から、翌年安政元年正月初旬まで約半歳を碇泊してゐた。幕府のロシヤ應接係筒井肥前守、川路左衞門尉などの長崎到着が六年の十一月二十七日で、正式の日露會談開始が十二月十五日からであつた。そしてこのときの通詞主席は大通詞西吉兵衞、次
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