アラスカからオホツクへ到着し、そこから千島を南下してくる例だつたが、プーチヤチンがはじめて、印度洋から東支那海を通つてきたわけで、日本とロシヤ間の航路が三分の一もちぢめられてゐることも、當時の日本にとつては注意すべきことであつたらう。
しかし歴史もなかなか忙しい。プーチヤチンは、米露雙方政府の諒解に基いて、ペルリの香港歸着を待つて對日共同歩調をとる筈であつたが、そのとき彼等遣日使節が「十ヶ月」の航海中に、本國ではロシヤ對英、佛、土間のクリミヤ戰爭が勃發してゐた。しかも支那海一帶は英佛艦隊の勢力範圍である。香港でそのニユースを知つたプーチヤチンはペルリの歸來を待たずに、長崎へむかつたわけであつた。
「――長崎灣の入口の目標になつてゐる野母崎が見えだした。皆は甲板に集つて、鮮かな日光をあびた緑の海岸に見とれてゐた。――艦の横の水面を流れてゆく、あの五色の風車を飾りたてた玩具の舟は何だらう?
「あれは――宗教上の儀式だよ」と誰かが云つた。
「いや」と一人が横槍を入れた「これは單なる迷信上の習慣さ」
「占ひだよ」――
「いや失禮だが、ケムペルの本には……」と誰やら議論をはじめた。――
こん
前へ
次へ
全311ページ中181ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳永 直 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング