んでゐる。これよりちやうど十年前、弘化元年に「パレムバン」が來航したとき、閣老水野越前守は「慶長、元和の規模に復り、進んで外に國威を張り、内に士氣を鼓舞せん」と主張して、つひに敗れたが、この開國的主張は、その後益々頻繁になる異國船の渡來、海外文明の伸展の模樣、一方國内では封建經濟その他の逼迫等で、幕閣内でもしだいに成長してゐたのかも知れぬ。これは外國人の記録だから信用できぬとしても、他山の石として參考にするならば、同じ嘉永六年の七月に長崎に來航したロシヤ遣日使節の祕書ゴンチヤロフは「日本渡航記」のうちにかう書いてゐる。
「――誰だつたか通詞のうちで、レザノフの來た時には、日本の閣老七八人のうちで、外國の交易に贊成したのはたつた二人にすぎなかつたが、今度はたつた二人が反對してゐるに過ぎない、と口を辷らしたものがあつた。――」
 レザノフが來航したとき幕閣に開國主張者があつたかどうか記録を知らないが、それは文化元年で五十年も以前のことである。或は水野越前に魁けする者があつたかも知れぬ。
 とにかく「外へ進んで國威を張り」「海外の文明をわがものとせん」といふほどの、ごく廣い意味での「開國」意
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