黒船來航はほんの十日間ばかりであつたが、豫想されるペルリの再渡來をめぐつて、幕閣でも、議論はいろいろわかれた。水戸齊昭は阿部へむかつて、「千騎が一騎に相成共」夷狄打拂の大號令を天下に示せと云つた。海防係の筒井肥前守や川路左衞門尉は「凡そ外國と戰端を開く時は、短日月に終結を見る事能はざるを例とす。されば大小砲彈藥を要する事莫大――故に今急に大號令案を發布するは策を得たるものにあらず」と云ひ、「水戸老公の――趣意については――一同に於ても異存毫もなし、唯二百年以來の昇平、特に水戰とては經驗なきところ、今戰端を開くとも必勝の見込なし」と云つた。また江川太郎左衞門は「御備へ――如何にも御手薄ゆえ、俗に申すぶらかすと云ふ如く、五年も十年も願書を齋せるともなく、斷るともなくいたし、其中此方御手當此度こそ嚴重に致し、其上にて御斷りに相成可然」といふ「ぶらかし案」を發議した。その結果名宰相伊勢守は「和戰」といふ、和して戰ふといふ特別な號令を出した。
これらは當時の幕閣事情について語る今日の歴史家のすべてが、骨子に用ひるほどの記録である。そしてこれだけの記録からでも、次のやうなことがわかる。第一にわが
前へ
次へ
全311ページ中168ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳永 直 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング