田伊豆守と會見、大統領親翰を手交した。十日には、軍艦四隻が江戸灣内にすすんで觀音岬に達し、着彈距離を測るなどの威嚇をみせて、十二日に、やうやく日本から退帆した。
 もちろん大統領親翰及びペルリの「上奏文」といふのは、一は捕鯨船その他アメリカ漂民に對する日本の取扱方改善、二は通商で、來年再渡來するまでに返辭をしてくれといふことである。このとき戸田伊豆守がペルリに讀みきかせた幕府の諭書は内容が微妙であるばかりでなく、從來のそれに比べると至つて平假名の多いハイカラなものになつてゐる。「――此所は外國と應接の地にあらす、長崎におもむくへきのよし、いく度も諭すといへとも、使命を恥しめ、一分立かたき旨、存きり申立るのおもむき、使節に於ては、やむを得さることなれとも、我國法もまたやふりかたし、このたひは使節の苦勞を察し、まけて書翰を受とるといへとも、應接の地にあらされは、應答のことにおよはす、このおもむき會得いたし、使命を全くし、すみやかに歸帆あるへきなり」といふのであるが、前に述べたやうに異國船渡來の歴史にみて、とにかく長崎、松前以外で國書を受取つたことは確かに異例であるにちがひない。
 第一囘の
前へ 次へ
全311ページ中167ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳永 直 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング