集」や、萬延元年増永文治發行の「蕃語小引」等は民間活字版の系統に屬する」ものださうであるが、これらの書物の漢字、假名が、木活字ないし木版であつたことは云ふまでもない。つまり從來の「ばれん[#「ばれん」に傍点]」刷りを「プレス」刷りにしただけであつて、そのプレス式印刷も長崎の小範圍から遠くは出なかつたやうである。
 しかしそれにしても私らは二百數十年前、この同じ長崎の地から追放された西洋印刷術を思ひ出すとき感慨新たなるものがあるだらう。「きりしたん」と共にそれを逐つた同じ幕府が、今やふたたび迎入れねばならなかつた。「日本製洋書」は「需要著しきも供給不充分」として再製されねばならなかつた。シーボルトの「出島版」は長崎を訪れる志ある日本青年のみならず、江戸の學生たちにも珍重され、ポンペの醫術書は、長崎市大徳寺内につくられた幕府公認の學校「精得館」の生徒たちのために教科書とならねばならなかつた。
 日本製の洋書。アルハベツトにはじまつた「江戸の活字」。當時の學生が大福帳型の教科書の洋活字の一方に筆で和解して日本文字を書きこんでいつた事實をおもふとき、それが傳説めくほど微少ではあつても、昌造の日
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