置を占めようといふ意志もふくまれてゐただらう。しかし蒸汽軍艦「パレムバン」は長崎碇泊五ヶ月の後、何ら得るところなく退散しなければならなかつた。江戸から到着した「諭書」はつまり、「開國勸告など無用にねがひたい。從來どほり通商は貴國以外とはしない方針であつて、また貴國との通商も通商ではあつても國交ではない點、誤解なきやうねがひたい」といふのであつた。
それはまことに取りつく島もないものであつた。「パレムバン」はやむなく國王よりの贈物を長崎出島に遺留して退去したが、當時の幕閣がこの囘答をするまでの成行は、それ自身そんなに簡單ではなかつたやうである。徳富蘇峰氏は「吉田松陰」のうちで、このときの事情を次のやうに述べてゐる。「――むしろ他より逼られて開國するよりも、我より進んで慶長、元和の規模に復り、内は既に潰敗したる士氣を鼓舞し、外は進取の長計を取らん」と水野閣老は欲した。それで水野は將軍家慶の御前において閣議をひらき、その説を主張したが、つひに家慶の容れるところとならず、水野は激して「――既に斯く鎖國と決する上は、和の一字は、永劫未來御用部屋に封禁して、再び口外する勿れ、滿座の方々も果して其
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