の覺悟ある乎」と絶叫したので、次席閣老で、家慶將軍の最も信頼厚かつた阿部伊勢守も、雙眼に涙をうかべ、兩掌を膝に支へながら、「委細承知仕りぬ」とこたへたといふ。――
それはまことに意味ふかい劇的一場面である。天保から安政へかけて江戸末期を代表する二名宰相、水野越前と阿部伊勢のこの言葉尠い問答のうちに、複雜多難な時代の辛苦が象徴されてゐるやうだ。「パレムバン」の來航は、いはばスパンベルグの來航以來、異國船渡來史第一期の大詰であると私は思ふ。しかも第二期はすぐはじまつて、よせてくる波は益々大きく激しくなつてきたが、このとき、弘化元年十月蒸汽軍艦渡來のとき、既にわが昌造は二十一歳で「小通詞見習」であつた。その職掌柄と、幼少から家藏の蘭書とで鍛へられ「少年時、既に世界的活眼」をひらいてゐたといふところの青年昌造は、どんな考へを抱いてゐたであらう※[#疑問符感嘆符、1−8−77]
[#改丁]
[#ページの左右中央]
活字と船
[#改丁]
一
さてこのやうに逼迫した對外空氣のうちにあつて、昌造が近代活字を創造した事蹟は、彼の二十五歳のときにはじまつた。幕
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