たのである。平和な第二囘遣日使節としての彼の任務を妨害した大きな原因の一つが和蘭商館にあることを、蜀山人に俟つまでもなく承知してゐた。一説によると彼は長崎碇泊中、長崎通詞らをとほして得た知識によつて、佐幕派に對立する勤皇派に味方することで、日本通商の利を得んとしたものとも謂はれる。いかにも皮相な見解だつたとしても、家康の御朱印状以來特惠國として、事毎に「將軍政治」を謳歌するオランダに反感をもつ以上、或は自然な成行だともいへる。レザノフはひたすら戰艦を建造し兵員を募つた。そして若しかレザノフの計畫にロシヤ政府が全的承認を與へたならば、わが國内事情は一應措くとして、われら日本人は祖國を護るために相當の犧牲を拂はねばならなかつただらう。
 しかしレザノフの計畫は、後にみるやうにエカテリイナ女皇についで即位したアレクサンドル一世が承認を與へなかつたために龍頭蛇尾に終つたが、レザノフ一個は簡單に計畫を放棄することが出來ないで、文化四年(一八〇七年)のフオストフ事件となり、日露國交史上最大の暗い頁となつた。フオストフ事件はついでガロウニン事件を産みガロウニン事件はまた高田屋嘉兵衞事件を産んだのであ
前へ 次へ
全311ページ中125ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳永 直 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング