だ。つまり鎖された國を脅やかすものは北と南だけではなくて、東にも出現しつつあつたわけで、さらにこの年前後からは、毛皮船ばかりでなく、大西洋岸にあつたアメリカ捕鯨船が太平洋に河岸をかへた頃にあたる。世界最大の未開の海は豐富であつた。アメリカ人たちは抹香鯨を逐うて、南は赤道をこえて印度洋に入り、マダガスカルから紅海に達し、北はベーリング海峽をこえて、オホツクから沿海州一圓に至り、ハワイを通過する船はつひに鳥島をこえて、文政三年(一八二〇年)頃には、わが海岸に食糧薪水をもとめて、房總方面に上陸する捕鯨船が頻繁だつたと記録は書いてゐる。
かういふ事態は、その二百年前に九州豐後水道にたまたま流れついたポルトガル船や、薩摩海岸に飄然上陸した一宣教師やが、切支丹や活字やをもたらしてきたやうな、ロマンチツクなものでないことがわかるが、さて當時の幕閣は、かうした海の四周のざわめきに對して、どんな理解と方針があつたであらう? 時の老中松平樂翁は、ロシヤの遣日使節ラクスマンに對して、「宣諭使」石川將監、村上大學の目付二人を送り、宣諭使は「異國人え被諭御國法書」を讀みあげて、「かねて通信なき國の船舶本邦に渡
前へ
次へ
全311ページ中119ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳永 直 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング