來せば、之を逮捕し或は撃攘する事我國法にして、若し漂民あらば、必ず長崎に護送すべし、國書をもたらすとも、受領する事能はず」と云つた。「エカテリイナ號」は根室灣に碇泊して「宣諭使」の來着を待つこと八ヶ月のうち、同船で送還されてきた漂民數多も、ロシヤ人乘組員も、また日本側警備員たちも、多數壞血病で死んだ。史家たちは當時の記録をつたへて、この時江戸評議の延引や、ラクスマンへ「長崎入港許可書」を與へたことやを基礎にして、松平越前は或は「松前の一港ぐらゐ開いてもよい」意志があつたのではないかとみる向もあるが、とにかく幕府の苦心は漸くこの頃にはじまつたのだらうか。
ラクスマンが歸國して十一年目「長崎へゆけば國書が受理される」といふ彼の誤解? をもとにして、第二囘遣日使節國務顧問兼侍從ニコライレザノフは、文化元年七月に長崎に到着した。「ナデジユダ」「ネワ」の二軍艦をもつて、國書を捧持しつつ、クロンシユタツト發航以來二年目である。そして漂民護送は容れられたが、やはり通商は拒絶、ロシヤ側の贈物も法規に基いて、全部長崎奉行からおくりかへされて、記録は「ラクスマンの「長崎へゆけば」は誤解であつたことが明瞭
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