つ、千島列島を南下してきて、根室灣に投錨、松前藩に至つて、正式に來航の理由を明らかにしたのであつたが、これがヨーロツパ國家の元首が直接交誼を申入れた最初であらう。

      三

 十八世紀末から十九世紀へかけて、日本を訪れる黒船の數はしだいに頻繁となつたばかりでなく、一波また一波、あらたに寄せてくる波は、かへした波のそれよりもグンと大きくなつてゆく觀があつた。しかも鎖された國を脅やかすものは英、佛、露のみではなく、このときは既にアメリカの毛皮業船が、アラスカから澳門へむかつて、帆一枚で太平洋を渡りつつあつた。コロンブス發見以來の新興國民は、イギリスのクツクの探險報告でアラスカ沿岸のおびただしい獵虎の棲息と、それがロシヤ人にだけ獨占されてゐるのを知つて、命知らずのヤンキーたちは小帆船を驅つて殺到してゐた。當時アメリカ人は獵虎を狩るアラスカ土人に、鐵の頸輪一箇を毛皮三枚と交換して、毛皮一枚は澳門で七十五弗で取引されたと謂はれる。寛政四年(一七九二年)にエカテリイナ女皇の遣日使節が蝦夷松前にやつてきた年には、日本の東岸とほく太平洋を横ぎつてゆくアメリカ帆船は二十五隻にのぼつたといふこと
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