思議ではないだらう。
ブラフトン大尉は平和裡に二週間を繪鞆に碇泊。薪水補給、艦體修理、測量海圖の作成など終つてから、遠く日本の太平洋沿岸を南下、澳門に着いた。そして二ヶ年の休養後、寛政九年、ブラフトン大尉は再び澳門を出發、東支那海を東上した。臺灣海峽を通過して沖繩島に達し、再び太平洋岸にぬけて、こんどは日本本土に近接、海圖に記入しながら江戸灣なども確かめて夏の終りに繪鞆へ入港した。ところがこんども醫師加藤他二名がブラフトン大尉を艦上に訪問したが、彼らはもはや三年前の知己ではなかつた。ブラフトン大尉が慌てて繪鞆を出帆したときに、松前藩の士卒三百人が港ちかくに迫つてゐたといふ。「異國船再び來る」の報は江戸へも飛んで、老中松平伊豆守は事態容易ならずとして、松前若狹の參覲を停め、津輕藩にも箱館出兵を命じたが、船足の早い異國船はつひに捕へることが出來なかつた。
北邊は漸く多忙であつた。しかもこれよりさき、イギリスのヴアンクヴア大佐が、多島海を測量してゐるとき、寛政の四年には、北からくる船のうちでも主人公、ロシヤのエカテリイナ女皇の第一囘遣日使節の軍艦「エカテリイナ號」が、女帝の親翰を捧持しつ
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