水の補給をうけた恩義にむくいるためか、ドイツ語、ラテン語による北邊事情を密告した。長崎通詞中にはもちろん右二ヶ國語に通ずるものはなかつたので、和蘭商館長がこれを蘭譯して長崎奉行に提出した。日本文になつてゐる「ウシマにおいて、ばろんもりつあらあたるはんぺんごらう」の署名ある記録は、半紙一枚ほどの短文であるが「――日本國之筋を乘※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]り看、又一所一所に集り候筈に候、必定考候は、來歳に至り而者、マツマエの地、その外近所の島々え、手を入候事も相聞候――云々」などいふのがある。どのへんまで眞實か知らないが、その後數年を經てから長崎に來た林子平は、和蘭商館長からこのことを聞知して、彼の「三國通覽圖説」をもつて海防の急を愬へる動機にしたとも謂はれてゐる。
 とにかく、まだ鎖國の夢まどらかな時代ではあつたが、さきにスパンベルグの訪問があり、いま「はんぺんごらう」の彗星のやうな通過があつて、黒船の姿は當時の人々に大きな衝動を與へただらう。しかも北からくる船はロシヤばかりではなかつた。十八世紀の末まではまだ世界の地圖に空白があつた時代である。ヨーロツパからみれば太平洋の
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