年)夏、カムチヤツカから出帆した一隻の黒船が、千島列島を南下、まるで彗星のやうに津輕海峽をぬけて、やがて大阪灣に出現、阿蘭陀船と僞つて毛皮と米薪炭を交換したが、間もなく長崎沖にいで、奄見大島へぬけ、臺灣海岸に上陸、蕃人と合戰し、再び南下して支那の澳門に達したといふのが「ばろんもりつあらあたるはんぺんごらう」の、カムチヤツカ監獄脱走船であつた。
 ハンガリヤ人にしてポーランド貴族、自稱ベニヨーウスキイ伯爵が、日本ではどうして「はんぺんごらう」と訛つたか私はいはれを知らない。このハンガリヤ人はポーランド内亂の際ロシヤ軍の捕虜となつて、一七六九年シベリヤ流刑を宣告され、當時露米會社の政策によつて、カムチヤツカに護送されたが、三年目に一味徒黨をかたらつて、カムチヤツカ長官以下を殺戮し、北極から支那までの脱走に成功した世界的冒險家? である。そしてこれが恐らく北からきて日本海岸を通り、東支那海へぬけた世界最初の船であらう。
 歴史は時によつて皮肉である。ピヨトル大帝以來の對日方針の辛苦經營は、不幸にもこんな脱走犯人によつて最初の幕が開かれたわけである。しかもこの脱走犯人は奄見大島に碇泊中、食糧薪
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