周圍には、まだ誰もが手をつけない「めつけもの」があつた時代である。米大陸の一部が發見されてから二百數十年、ベーリング大佐がベーリング海峽を※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]り、アラスカ東端を發見してから半世紀に足りない。ヨーロツパ人からみれば北太平洋から支那大陸の間に横はる日本の存在は、コロンブスにも似たやうな冒險心を唆らせる對象だつたと思はれる。イギリスの海軍大臣は同じ一七七〇年代の安永年間に海軍大佐ジエームズ・クツクに訓令して日本本土沿岸を探險せよといつてゐる。クツク大佐は再度太平洋を横斷してアラスカまで來つたが、果さずして一七七九年ハワイで死んだ。するとこんどはイギリスに代つて、フランスのルイ十六世が、ド・ラ・ペルウズ海軍大佐に命じて、クツクの遺業をつがせた。ペルウズはクツクの死亡後、四年目にアラスカに到達、つづいて沿海州海岸を測量し、間宮海峽にまで及んだといふ。
當時の幕閣は、奇矯の言を振りまいたといふ廉で林子平を逮捕し「海國兵談」は板木まで沒收したが、子平や同じ仙臺藩平澤五助の海防唱道も、むしろ遲きに過ぎたか知れぬ。ペルウズが去ると、代つてイギリス海軍大佐ヴアンクヴ
前へ
次へ
全311ページ中114ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳永 直 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング