書いた。學校があつて、學校の門は粘土の山で出來てゐる、生徒たちは登校すると、てんでに門の粘土をくづしとり、一ン日書いたりくづしたりして、をはるとまたその粘土で、門の山を築いて歸つていつたといふ話を、著者の想像らしい※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28]畫と共に面白く記憶にのこした。また別の書物でバビロニアだかどこだかの女王が、自分の傳記みたいなものを粘土に書いて瓦に燒いたものが四千年後の今日發見されたといふ文章が、つまり私には「紙」以前に何に印刷されたかといふことで興味があつた。やはり西洋歴史の「貝殼追放」なども、貝殼に文字を書いた歴史であり、その後は牛や羊の皮に文字を書いて、一卷の書物は今日の呉服店のやうに大きな丸束にして書物の値段札がブラさげてあつたといふ。支那の畢昇が粘土で活字を作つたのは、グウテンベルグに先だつこと五百年だが、日本の陀羅尼經、天平八年法隆寺の印刷物はまたそれに先だつ二百八十年といつたやうなこと、その陀羅尼經の原版が木であつたか銅であつたかといふ詮議を、著者と共にボンヤリ※[#「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−
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