くせねばならず。彼等は官吏にして語學の師匠、仲買人にして商賣人なり――。そしていま一つ附加へて彼は謂ふ。――多くは無主義、無性格の人々なり――。
これが恐らく和蘭通詞といふものの一般的性格であつたらう。語學といふものも白石、昆陽以來、江戸その他において有力な洋學者があらはれて「蘭學事始」のごときことが起らなかつたらば、それは貿易の必要上、ほんの通詞らの特殊技能以上のものとはならなかつたか知れない。また通詞ら自身でも、少數の人々を除けば、多くは「鼻紙に片假名で發音を書きとつた」だけで用が足りれば、それで滿足だつたにちがひない。しかし歴史の作用は何と妙であらう。かうした人々は同時に外人の家庭の世話から「箸の上げ下しまで」見てゐなければならなかつたせゐで「門前の小僧が習ひもしないのにお經が讀めるといつた類ひで――醫師の眞似事が出來るやうになつた。そして最初は、強ひて病家に乞はれる儘にほんのその場限りの積りで、恐る恐る手術したり、投藥してみたりする。ところが此の無免許先生、案外に成績が良い」(前野蘭化)といつたぐあひで、少數のすぐれた通詞らは通詞の域をいでて、醫術に限らず、その他の學問でも、いくらかづつ深入りしていつたのであらう。
私らは本木一家にみても、さきに庄太夫良意の「和蘭全躯内外分合圖」を思ひ出すことが出來るし、仁太夫良永の地動説の紹介、庄左衞門正榮の「英吉利言語集成」などを顧みることが出來る。そしてもつと典型的な一例として良永の弟子志筑忠雄、のちの中野柳圃の「暦象新書」をあげることが出來よう。良永の「太陽窮理了解」は日本天文學に魁けるものだが、つまりは紹介の域を多く出なかつた。しかも忠雄柳圃の「暦象新書」はもはや紹介ではなかつたのだ。彼の天文學は日本に最初の地盤を打ち樹てた自説であつたのだ。そして「紹介」が「自説」となるためには、柳圃はどうしなければならなかつたか? 彼はひたすらに二十年の研修をつづけるために、養家の志筑家をいでて、もはや通詞をやめて、一個の學者中野忠雄とならなければならなかつたのである。
私らはここに「蘭學者の蘭學」と「通詞の蘭學」の區別をみることが出來よう。江戸や京阪の洋學者たちは、最初はしばしば長崎を訪ね通詞らの門を叩いてゐる。しかし彼らは最初から學問をめざしてゐたのである。林子平が本木良永の門を叩いたと謂はれ、平賀源内、前野良澤、大槻玄澤ら、また長崎を訪れた。しかし彼等はすべて自分のものとしたのだ。
そして私の主人公本木昌造はどうであらう。彼は傳統ある家に人となり、前記した通詞の一般的性格のうちに育つた。彼の生涯は幕末の混亂期から明治維新後の文明開化期までをつらぬき、迂餘曲折をきはめてゐる。あるときは日露談判の通辯となり、あるときは、幕府の軍艦の機關長として、長州兵と戰ふかと思へば、あるときは姉公路卿を載せた汽船の長となつて、無事勤皇の大役を果したり、またあるときは八丈島に難破したり、長年月を獄に下つたりする。そしてただ一つ活字だけが二十數年後に完成するのだが、このジグザグな彼の生涯のうちに、通詞の一般的性格をどれだけ、そしてどういふ風に超えただらうか。
[#改丁]
[#ページの左右中央]
よせくる波
[#改丁]
一
私はむかしの長崎繪圖を都合三枚みることができた。最初の一枚は帝國圖書館でみたもので、安永七年の作である。あとの二枚は友人Kの蒐集したもので、Kの鑑定によると、一枚は天保年間とおぼしきもの、いま一枚は慶應二年頃と判斷されるものである。
安永の墨一色の「長崎之圖」は、大畠文治右衞門といふ人の作で、可なり精細である。町の中央をやや左寄りに二股川が流れ、その上流は二つの支流にわかれてゐる。左の支流は、後年シーボルトが長崎奉行の肝煎りで新知識普及の道場とした鳴瀧に源を發してをり、そのほとんど近くに昌造の生地新大工町がある。二股川はその下手で右からくる支流をあはせて、まつすぐに海へそそぐのであるが、河口の左側突端に「唐人屋舖」があり、河口の右手にもつと大きな扇型の島がある。これがいはゆる「出島」であり、「和蘭商館」のあるところである。この圖でみると、出島は帽子の玉飾りのやうで、帽子にあたるところ、つまり出島と橋一つでつないだ、やや圓型の突端に長崎奉行所がひかへ、その裾を八の字にひらいた長崎の町々の、港を中心に繁榮してゐるさまが描かれてある。海にむかつて、奉行所の右手海岸はとほく弧をゑがきながら肥後、筑前、佐賀、平戸、諫早、柳川などの各領主、當時日本の入口を護る年番諸侯の屋形所在地がつづいてゐる。
私は興味をもつて港の沖合にかかる船々の繪をみた。大小さまざまの船がある。オランダ船、シヤム船、ナンキン船――。私は船について全く知識がないから判斷のし
前へ
次へ
全78ページ中25ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳永 直 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング