ても幕府支配の下にあつて、往々にして幕閣でも重要な政治機微について用辯してをり、諮問に與かるくらゐのことはあつたであらう。しかも彼等は士分でもなく、さればといつて純然たる町人でもなかつた。
通詞制度はいつごろ出來たものか?「和蘭通詞又譯司は通譯官と商務官とを兼ねたものであつて、オランダ人はこれをトルコと呼んだ。和蘭通詞は平戸時代からあつた。但、その整然たる階級は長崎時代になつてから出來たもののやうである」と、板澤氏は「蘭學の發達」で述べてゐる。つまり慶長五年に和蘭船が九州豐後水道の沖合に漂流して以來のことにちがひないが、秀吉末期までは政治の方針も相違があつたから、恐らく通詞の性格が確然としたのは家光以後の事だと、私らにも想像がつく。
たしかに「通譯官」と「商務官」にはちがひないが、今日の常識でいふ「官」と名づけられる程の内容があつたかどうかは疑はしい。たとへば文化十一年、蘭館長ヘンドリツク・ヅーフが、本國が英國のために降伏して、前記したやうにその六年前には「英艦事件」を惹き起したが、再び英國は蘭人で前任館長カツサを表面にたてて、ヅーフの任期既に經過してゐることを楯にとつて、合法的な占領をせんとしたとき、日本の通詞たちをダシにして大芝居をうつたことがある。つまり「同夜予は祕密に與かれる五通詞の外目付と大小通詞一同とを予の許に召集し」とヅーフは「日本囘想録」に書いてゐる。そしてカツサに和蘭本國はやがて平和に歸すだらうから、それまでヅーフを現任のまま繼續すべしといふ虚僞の聲明をせよと迫つたのだ。カツサは自身英國の手先であり、それを拒むためには通詞たちの面前で事情を明らかにしてしまはねばならない。而もヅーフは既に五通詞をして「祕密に與かれるもの」としてゐるのである。
もちろん歴史が示すやうにヅーフの恫喝は成功した。ヅーフは蘭領がすべて失はれたとき、ひとり日本の長崎でだけ同國旗を飜し得た和蘭歴史の功勞者となつた。しかし飜つてわが日本からみるときはまつたく圖々しいといはねばならぬ。英國に加擔するわけではないが、このときヅーフに反對行爲を示した本木庄左衞門と名村多吉郎の方針は、ヅーフが惡しざまにいふ精神からばかりではなかつたらう。しかも勝手に通詞たちを「召集」したりしたヅーフは、そのとき大通詞であつた名村、本木の二人について「予は此の機會によりて日本にては下級の官吏とも親交するの必要[#「下級の官吏とも親交するの必要」に傍点]なることを實驗せり」と書いてゐる。
ヅーフは策略ある人物だつた。名村、本木の二人を離間させ各個撃破するために、個々に呼びいれ、時計を與へたりして、これに成功してゐる。そしてこれは同時に通詞らの一般的性格を示すものかも知れない。さきに見たやうに庄左衞門ほどの人物が、ただ銀時計一箇に眼がくらんだばかりではあるまい。ヅーフにかかる策略をさせるところ、また通詞側にもそれに乘ずる特殊な空氣があつたのではなからうか?
岩崎克己氏は「前野蘭化」で書いてゐる。「和蘭通詞が通辯飜譯の外に和蘭人の行動を、殆ど箸の上げ下しに至るまで、監視することを職務としてゐたことは「ケンペエル江戸參府紀行」に見えてゐた通りである。從つて罹病した和蘭人が内外の治療、手術を受ける場合にも、彼等は通詞等の監視を免れることは出來なかつた」と。つまりこれも、家光以來の方針が、「通譯官」であり「商務官」である通詞らにいま一つ加へて與へたところの役割であつたらう。
通詞の食祿は尠い方ではなかつた。元祿八年頃で、大通詞銀十一貫五人扶持、小通詞銀七貫三百目三人扶持、小通詞並で銀三貫目だつたと「蘭學の發達」は誌してゐるが、それより降つて幕末期になると、「大通詞銀千百兩、米千九百六十升、小通詞一級銀五百三十兩、米千二百三十升、小通詞二級銀三百兩、小通詞三級銀三百兩」と「日本交通貿易史」のうちでシーボルトは書いてゐる。その他慣例によれば和蘭船の着く毎に、いろんな名目で「餘祿」があつたといふのだから、經濟的にはそこらの武士をはるかに凌ぐものがあつたと思はれるが、それと同時に、通詞らの過失や犯罪の處罰もまことにきびしく、たとへば天保八年に小通詞名村元次郎はサフラン二十五本をどうかしたといふ廉で獄門にのぼされてゐるし、前記した甲比丹ヅーフは本木、名村の兩人を各個撃破し、自分の目的を達するためには、二人の過去の小事實を長崎奉行へ密告して生殺與奪の權を自身で握つたことを「日本囘想録」のうちで得々と誌してゐる。
まことに通詞とは機微な存在であつた。私は思ふのだが、「日本交通貿易史」のなかで述べてゐるシーボルトの次のやうな通詞に對する觀察が、もつとも正鵠を得たものではないだらうか。――通詞といふは手輕き名にて、しかも重要なり。その役柄はもつとも困難にして、諸方面に對しては腰を卑
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