なかつたにしても、通詞らの反向學心と狎れあはしむるやうな何物かがあつたのではなからうか?
 良固は口辯が不得手であつた。ために生涯稽古通詞からのぼれなかつたが、「蘭書讀譯免許云々」のとき、西は三十、吉雄は二十二で、ひとり仁太夫のみ五十一であつた。「されば、學問に心深かりしより半白の身を以て少壯者と其志を同じくせしぞめでたき。余の祖父玄澤は長崎に遊學し本木、吉雄の兩家に益を請れ、本木も蘭學創業の一人と傳へ」云々と、玄澤の孫の大槻如電は誌してゐる。
 玄澤は良固の孫庄左衞門とは友人であり、「益を請れ」たのは良固の子二代仁太夫と思はれるから、「免許云々」も、その子なり孫なりの云ひ傳へであらう。しかしいづれにしろ、年代的にみて通詞らの中から學者や技術者が多く出たのは良固以後であるから、この三人の擧は何らか通詞らに向學の刺戟を與へた性質のものと私は信じたい。そして「良固稽古通詞たること二十年、小通詞にも至らず――一女僅かに十二歳西氏の子を嗣となし、諭して曰く、汝其身を愼み世職を完うせよ」と遺言して亡くなつた。
 二代仁太夫、本木三世は西家から入つて榮之進といひ、良永といつた。享保二十年生れ寛政六年六十で死んだ。速水敬二氏の「哲學年表」にも同年科學者の欄に「本木良永六〇」で歿すとある。良永は先代の遺言をついで、安永六年小通詞となり、のち進んで大通詞となつた。洋學年表では「――本木氏の中興にして、オランダの天學此人に因て起る」とある。
 良永はよき通詞でもあつたが、秀れた學者でもあつた。澤山の著譯書があつて、主なるものを「哲學年表」から拾つてみると、安永三年「平天儀用法」「天地二球使用法」天明元年「阿蘭陀海鏡書」天明八年「阿蘭陀永續暦」寛政四年「太陽窮理了解」等があつて、とりわけ最後の「太陽窮理了解」説は、はじめて地動説を日本に紹介したものとして知られてゐるし、その後に來る天文學の道を拓いたものであらう。日本に始めて太陽暦が採用されるについて大きな挺子となつた「暦象新書」の魁をなすものであり、「暦象新書」の著者で有名な、通詞出身の、のちに柳圃と號し中野姓を名乘つた志筑忠雄は、良永の弟子であるのにみても理解できよう。
 良永は義父良固に肖て、むしろ勤直な學者肌だつたらしい。彼が幕府に「太陽窮理了解」説の譯述を命ぜられた(これは安永三年に「天地二球使用法」を譯述して呈出したのに基いてゐるといふ)のは五十八歳のときであつた。全篇七卷三百二十五章、外に附録一卷といふのだから、よほどの大仕事である。寛政三年十一月に始めて同五年九月に終つてゐるが、この譯著が成ると數ヶ月で死んでゐるから、恐らく命とりの仕事だつたと考へられる。四世庄左衞門の碑文に「奉命譯書、時維嚴冬、自灌冷水、裸體素跣、詣于諏訪神社、祷卒其業、人或諫曰、子既老矣、何自苦之劇、曰自先世、以譯司、食公祿、以斯致死、即吾分而已」と誌してゐるさうだが、恐らく良永の面目を傳へたものであらう。
 四世庄左衞門は良永の嫡男で、正榮と諱した。三谷氏家系圖では安永七年生れ、文化十年三十六歳で死んでゐるが、洋學年表では文政五年物故蘭學者の欄に庄左衞門の名が出てをり(長崎大光寺、享年五十六)とある。これでみれば死歿の年に相違があるばかりでなく、生年も安永七年でなく明和五年となつてくる。從つて三谷説によると、良永歿年に庄左衞門は十七歳であるが、後者では二十七歳となるし、しかも後者はその説を裏書するやうに、寛政六年の項に「大通詞本木仁太夫死し子元吉嗣ぐ、小通詞なり、庄左衞門と改め正榮と名乘る」とあるから、小通詞とすればよもや十七歳ではないだらう。前記したやうに新撰洋學年表の著者如電の祖父玄澤は、書中にもみえるやうに庄左衞門の友人だし、私は後者を信じたい。それに證據の一つとしてヅーフの「日本囘想録」には一八一七年、文化十年まで庄左衞門健在の事實が記録されてゐるからだ。一八一七年は甲比丹ヅーフが日本滯留十九年で、バタビヤへ引きあげた年である。しかもこの記録たるや、後にみるやうに庄左衞門の存在は、和蘭商館長ヅーフにとつては忘れがたい敵役であるし、彼が※[#「勹<夕」、第3水準1−14−76]々の思ひで日本を退散しなければならぬ動因ともなつてゐるからである。
 本木四世庄左衞門は、のち大通詞に進み文政二年には名村八右衞門と共に、「總通詞教授」を命ぜられてゐる。何の教授であるか誌されてゐないが、庄左衞門は蘭語の他に佛蘭西語を習得してをり、殊に英語において先達であるから、たぶんそれらの教授と思はれる。庄左衞門の著書のうちでも記憶さるべきものは、文化八年二月の「諳厄利亞興學小筌」(英語小辭典のこと)及び同年九月、楢林、吉雄と共につくつた「英吉利言語集成」等であつて、恐らく日本における英語の歴史上特筆されるものと思ふ。「英吉利言
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