、實ニ奇ト云フベシ。右見物ニ暮前ニ出デ、日暮テ退ク」とあるから、その馬場は土佐藩士の見物でいつぱいだつたらう。
ここでいふ「鹽田氏幸八」は昌造が長崎から同道してきた大工幸八のことで、寺田の日記にみても、昌造監督のもとで實際は幸八が船をつくつてゐることがわかる。同じ四日には昌造自身で運轉してみせた。「晴、四ツニ出ヅ、今日長崎譯官本木昌造、蒸汽船雛型持出シ御覽アリ。朔日ニ上ツリタルヨリハ大ニシテ仕形モヤヤ精密ナリ、七ツ過ギ退ク。夜澁谷、傳氏ニ行ク、小南、朝日奈、出間ト同クス。四ツ時カヘル。昌造ノ咄ニ此度ビ、魯西亞、獨兒格(トルコ)ト戰ヒ、英佛ノ二國獨兒格ヲ援ク、魯西亞ノ軍艦十隻爲メニ英軍ニ獲ラル」と志齋は書いてゐる。四日の雛型は朔日のそれより大きく精密なものを昌造自身で運轉してみせたのであらう。この文で見ると、あとにつづく日記のそれと綜合して、昌造は土佐藩士澁谷傳氏といふ人の邸にゐたのだらうか。小南とか朝日奈とか出間とか、同藩士かどうかわからぬが、そんな人達がやはり來合せてゐて、昌造からクリミヤ戰爭のニユースなどを聽いてゐる容子がわかる。昌造の咄ぶりがどんなだつたか知る由もないけれど、海外の政治情勢と結びつけて、海外科學の紹介、海國日本の海防の急などが、恐らく寺田はじめ居合せた人々の腦裡に植ゑつけられた話の内容だつたらうと想像することが出來る。寺田志齋は東洋と同じく土佐藩の仕置役として藩政に參畫し、容堂の側用人を勤めたことがある。川路左衞門尉などとも親交があつたといふから、後年佐幕派連署組の巨頭となつたといふやうな當時の複雜な政治的經緯は別として、昌造の海外ニユースなどにもいつぱしの見解をもつて關心するほどの人物だつたにちがひない。
七月十六日にはまた澁谷へ行つて蒸汽船註文の事を昌造と相談し、二十四日は築地の造船場を他の藩士たちと共に下檢分してゐる。「終ニ本木昌造ヘ酒ヲ給ス」とあるから、昌造はその造船場で既に指揮に當つてゐたものであらう。八月朔日には「本木昌造ヨリ約束ノ品ヲ※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]シ來ル」と、品名を匿してあるが、私の想像ではたぶん蘭書の類ではなかつたかと思ふ。蘭書は當時の志ある武士の多くが欲してゐたところで、しかもまだ特別の人以外には購求出來なかつたし、蘭書の種類によつては殊にさうだつたからである。八月五日には建造中の船の事で昌造と談じ、九月七日には「雨、出テ蒸汽船製造場ニ過タル、船ノ形、頗ル成ル」と書いてゐる。
昌造が土佐藩のために骨折つたのは、雛型作りだけでも一再でないし、工夫に工夫を凝らしたらしい。容堂の日記でみると、八月四日は「供揃ニテ、供※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]リノ面々モ馬乘ニ申付、砂村屋舖ニ相越シ、長崎之通辭召連レ、蒸汽船一覽セラル」とか、同八日には宇和島藩主伊達侯を招待して「夕方本木庄藏ト申ス通辭、蒸汽船持參致シ候ニ付、馬場ニ於テ伊達遠江守殿ト一所ニ一覽セラル、ソノ節中濱萬次郎モ呼寄セ――」と誌してあるから、昌造はこのときアメリカ歸りのジヨン萬次郎とも逢つたわけである。中濱萬次郎は漂民として嘉永三年日本へ歸着、後二年間は自由の身ではなかつたが、安政の開港以後その語學と海外知識を買はれて後幕府の軍艦操練所教授となつた人で有名である。土佐藩は幕府にさきがけて萬次郎を登用し藩士に列せしめてゐたから、このときも呼び寄せて昌造の雛型を彼の知識によつて批判せしめたものであらう。
神奈川條約成立以後は日本の上下をあげて近代的な大船建造熱が旺盛であつた。「閏七月(安政元年)廿四日、御用番久世大和守殿に左之伺書留守居共持參差出候處、被請取置、同八月廿三日、同所え留守居共被呼出、右伺書え付紙を以て被差返上、則左之通」と土佐藩記録にあつて、「今度大船製造御免被仰出候ニ付、爲試」と、一ヶ月の短時日を以て幕府も許可してゐる。昌造の雛型提示が前記したやうに七月朔日に始まつてゐるのだから、土佐藩の伺書提出はそれによつて決定したものだらう。そして昌造の雛型及び監督によつて建造された江戸において最初の蒸汽船はどんなものだつたらう。同じく土佐藩記録はその伺書の内容を次のやうに誌してゐる。「蒸汽船一艘、長サ六間、横九尺、深サ五尺四寸、砲數二挺」といふから小さいながら一種の軍艦であつた。「右之通雛型、築地於屋舖内、手職人エ申付爲造立度、尤長崎住居大工幸八ト申者、此節致出府居候ニ付、屋舖エ呼寄、爲見繕申度、出來之上於内海致爲乘樣、其上彌以可也乘方出來候時ハ、海路國許エ差遣シ、船手之モノ共爲習練、江戸大阪共爲致往還度、彼是相伺候、可然御差圖被成可被下候、以上、閏七月廿四日、松平土佐守」
船が出來たらばまづ江戸内海において運轉させ、それから國元土佐へ送つて藩の船手共へ習練させる、上達したらば江戸、大阪
前へ
次へ
全78ページ中64ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳永 直 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング