通辯をし、魯艦の下田※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]航と共に同年十月以來、翌年三月日露修好條約成立まで伊豆地に居り、同年夏以來、幕府の海軍傳習所が長崎に出來るや、傳習係通譯となつてゐる。安治川尻での魯艦についての通辯のことは、いま自分では資料をもたぬので、三谷氏の「――昌造先生も安政元年には大阪に於て魯國と談判するに際しては五代友厚氏なり、或は桂小五郎氏等の通辯をされた」といふ「本木、平野詳傳」にしばらく據つておく。また海軍傳習係通譯のことは、「幕府時代と長崎」(長崎市役所編)のうちに「――傳習係通譯岩瀬彌七郎、本木昌造等十四人云々」とあり、勝麟太郎の「海軍歴史」にも彼の名が誌してあるので疑ふ餘地はなからう。つまりこの時期から彼の生涯はそれこそ「東奔西走」であつたわけだ。
 ペルリの來航當時、長崎通詞は堀達之助、立石得十郎らの先任出役中のほか、前記榮之助、志筑辰一郎、名村五八郎らがゐた。主席通詞は大通詞過人の森山榮之助であつて、飜譯文に署名した順序からいふと、次席通詞の堀達之助よりも昌造の方が上位である。堀は當時小通詞で、昌造は小通詞過人であつた。しかしどういふ譯か三番通詞も「得十郎」となつてをり、日本側の記録をさがしても、ペルリ側の記録にみても、昌造はほとんど表だつて出て來ない。ペルリの「日本遠征記」もゴンチヤロフの「日本渡航記」と同樣、日本側の記録にくらべて、通詞らにある親しみをもつて書いてをり、「榮之助」は勿論、「五八郎」も「得十郎」も、「達之助」も、「林大學」や「井戸對馬守」のそれと同樣に、それぞれ見事な肖像を掲げてゐる。
 それぞれ大小を前半にして、やや袋じみた袴を穿き、緒の太い草履を穿いてゐる。主席通譯の榮之助は、四十未滿のはたらき盛り、禿げあがつた月代の廣さと、癖ありげな太い鼻柱、左の肩をおとして口許に薄笑ひを泛べてゐるところ、いかにも自信ありげで、ゴンチヤロフが描寫した「彼は川路つきの通詞であつたから、交渉のうちでも最も重要な部分を通譯してゐた。彼は思ひ上つて他の全權達の話は殆んど聞いてもゐなかつた。――彼は放蕩も嫌ひな方ではなかつた。――ある時は、中村の前でシヤンパンを四杯飮んで、ひどく醉つ拂つて、人の云ふことを通譯しないで、自分勝手に話をきめようとする――」といふやうな風貌が、同時にゴンチヤロフが他の個所で、その果敢な進取性と才能とに惚れて描寫したやうな部分と、一緒にあらはれてゐる。「達之助」などもつと謹嚴で、羽織を着て、小姓のやうな稽古通詞の少年の肩に、手をおいて立つてゐるところ、總じて通詞の風彩は、そこらの二三百石取の武家くらゐには見える。
 事實、幕府外交に際して彼らのはたらきは二三百石取の比ではない。前記の主席全權林大學頭が「榮之助抔も殊の外心配罷在候」と、老中にも披露される公文書に書いたやうに、事、外國に關しては彼らの知識に俟つところ、けつして單なる「通辯」の範圍ではなかつた。雙方の記録にみても、例へば主席通詞の榮之助が單獨で、ペルリを旗艦「ポーハタン」に訪れて、條約上の下交渉などをやつてゐるし、ペルリ一行の上陸についても榮之助はじめ通詞らの指揮にでるところ甚だ多かつた。しかしこれらの通詞の實際のはたらきと、「日本遠征記」に掲げるところの彼らの風彩をみて、彼らの地位がさうであつたといふのでは毛頭ない。たとへば彼らの二三百石取の武家風も、行司が土俵では烏帽子をかぶるのに似たものだつた。その證據には主席通詞の榮之助でさへ、「神奈川條約」成立後の四月二十九日付、江戸奉行達で「和蘭大通詞過人森山榮之助勤方ノ件」として、「紅毛大通詞過人森山榮之助儀、在府中御扶持方拾人扶持被下、帶刀御免――」云々とあるにみても理解できよう。つまりこのたびの未曾有の大外交に當つて、最も功勞のあつた彼への褒賞として、江戸奉行配下にある間、拾人扶持を下され、帶刀御免だつたのである。また風采はとにかく、通詞らの地位について、ペルリ側でも不思議がつてゐる。それは二月二十八日、條約成立の見透しがついて、ペルリ側で林大學以下の諸委員を旗艦艦上に招待したとき、ペルリ側主腦部と幕府全權主腦部とはペルリの居室で會食したが、ペルリ側では勿論通譯官も同列の椅子についた。それで林の方でも釣合をとるためか、榮之助をよびいれて、別の小卓につかせたときのことである。「――日本の通譯榮之助は、上役の特別の贔負で、その室の傍卓につく特權を許された。こんな低い位置についても榮之助は心を動搖せしめず、又食慾を亂されないやうであつた」と「日本遠征記」は書いてゐる。しかしこれはペルリの見當ちがひで、榮之助とすれば奉行格、大目付格の人々と同室で食事をするといふことが大變な光榮であり、また長崎通詞の過去の歴史にみても前代未聞のことだつたのである。
 通詞は低い身
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