光をかかぐる人々
徳永直

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)披《ひろ》げて

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)鑛|鑿《のみ》

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]

/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)くだ/\しい
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[#ページの左右中央]


        日本の活字


[#改丁]

      一

 活字の發明について私が關心をもつやうになつたのはいつごろからであつたらう? 私は幼時から大人になるまで、永らく文撰工や植字工としてはたらいてゐた。それをやめて小説など書くやうになつても、やはり活字とは關係ある生活をしてゐるのであるが、活字といふものが誰によつて發明されたのか、朝晩に活字のケツをつついてゐたときでさへ、殆んど考へたことがなかつた。しひていふならばこれもすこし縁のとほい「舶來品」くらゐに思つてゐた。ずツと海のむかふから、鐵砲や、蒸汽機關や、電氣や、自動車と一緒に、潮のごとく流れこんできたもので、えらいことにはちがひないが、何となく借物のやうな氣がしてゐた。それにもつと惡いことは、空氣の偉大な效用は知つてゐてもかくべつ有難いとも思はぬやうな、恩澤に馴れたものの漠然とした無關心さで過してゐたのである。
 したがつてドイツ人グウテンベルグや日本人本木昌造の名をおぼえたのは、ツイここ數年來のことである。それもどういふ動機でグウテンベルグや昌造に關心をもちはじめたか、自分でもハツキリわからない。多少こぢつけを加へて云ふならば、著述をするやうになつてからは、人間の世界に言葉が出來、言葉を表現する文字が出來、その文字を何らかに記録して、多數の他人と意志を疏通したり、後世にまで己れの意見をつたへたりするやうになつたことが、どんなに大したことであるかといふことを、いくらかでも身に沁みるやうになつたせゐかと思はれる。
 あるとき、私は上野の美術館に「日本文化史展」を觀に行つた。昭和十五年五月であるが、朝日新聞社の主催であつた。全國から國寶級の美術品があつめられてゐるといふこともまたとない機會であつたし、それに新聞の宣傳によると、幕府時代
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