にオランダからある大名に贈られたダルマ型の印刷機が陳列されてあるといふことも興味があつたのである。ところが會場へ行つてみると、貧血症の私はたちまちに疲れてしまつた。混雜もしてゐたが、出品があまりに厖大で、まるで豫備知識のない人間にはめまぐるしくて、つまり何を見たんだかサツパリわからない。
教師に引率された中學生や女學生、地方から上京してきた團體なども澤山あつて、とても一つの陳列品のまへに足をとめるなどできない。幾つかの室を押しこくられ押しこくられ、やつと階下へおりて特別室との間にある休憩場までたどりついたときは、もうボーツとなつてゐた。しかしあとになつてそのとき殘つた印象を纒めてみると、伴大納言繪詞とか、鳥羽僧正の繪とか、狩野派の繪とか、いろんな有名な日本繪のある室を過ぎて幾室めかに陳列されてあつた淺井忠の「收穫」とか、高橋由一といふ人の「鮭」などいふ繪のまへにたつたときの何かしらホーツとなつた氣持と、いま一つは瀧澤馬琴の「八犬傳稿本」を觀たときのある感動であつた。もちろん私に「收穫」や「鮭」の繪畫としての佳さ加減を他と比較したりする力はないのだから、ホーツとさせたもののうちには、繪畫自體のうちに何かテクニツク以外のものがあるのであらうか?「八犬傳稿本」は二頁見開きになつて、刷り上りの同頁とならべて、脊のひくい硝子箱のなかに披《ひろ》げてあつた。私はガンバツて背後からおしてくる人波を脊中でささへたつもりだが、あれでも正味は一二分くらゐだつたらう。稿本は頁のまはりに朱色の子持枠がひいてあり、一方の頁の下部には小姓風の若侍が、一方の頁の上部にはながい袂で顏をかくした、頭をかんざしでいつぱいに飾つてゐる姫樣の繪があつて、一つの情景が釣合よく描かれてゐる。文字はその繪と繪の間をうづめてゐるが、つまり馬琴は文章と繪を一緒に描いたばかりでなく、同時に製版の指定もやつてゐる。出來上つた本と見比べても殆んどちがつてゐない。昔の小説家は自分で繪を描き、文章をつづり、子持枠までつけて、己れのイメーヂをこんな具體的な形で、たのしく描いたのであらう。
私は版木をさがしてみたが見當らなかつた。稿本が出來ると、版下屋が版下を描き、版木屋が版木を彫り、やがて雙紙などでみる、袂を手拭で結へた丁髷親爺の「すりて」が、一枚づつ丹念に「ばれん[#「ばれん」に傍点]」でこすつたのであらう。私は姫樣と若
前へ
次へ
全156ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳永 直 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング