つくりした。そこは人氣の乏しい室の片隅で、古風な、それは朝日新聞が創刊當時使用したといふのよりもつと古風なハンドプレスが、誰一人觀てくれるものもなく、ころがされてあつた。不恰好に大きく彎曲した二本の支柱も、ハンドの「握り」も、支へのついた一本レールも、みんな赤く錆びついてゐる。私はわれ知らずそばへ寄つていつて、彎曲した支柱にさはりながら「おお、お前はまたどうしてこんなところにゐたのか」と、心のうちで呟いたほどである。
何十年になるだらう? 私はこの機械と共にはたらいてゐたのである。その頃十二歳だつたから、もう三十年を超える。私はハンドの「握り」に手をかけてから「手を觸れるべからず」といふ「札」に氣がついてひつこめた。ハンドの根元、すなはち壓搾盤をおしさげる胴の形も今樣の蛇腹のギヤではなくて、太鼓型の、水車風に※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]轉がすすむにつれて釘で止める式のものだつた。この一本レールに足をふんがけて、ハンドへ雙手をかけて、踏んぞり踏んぞり、一日に何百囘何千囘をくりかへしたことだらう。この赤錆びたハンドめは、私の幼い掌を豆だらけにし、いつも御機嫌のわるい壓搾盤めは、どんなに工夫しても右肩だけを強くおとす癖をもつてゐて、刷り物をムラにしては、兄弟子たちに幾度インクベラを叩きつけられたか知らない。もちろん御機嫌のいいときもあつたわけで、いそがしい年末の徹夜業のときなぞは、私はなかば眠りこけて、このハンドにブラさがつてゐたやうなものだ。
それは昔の幼な友達であつた。しかしまるい支柱を撫でながらフトむかふの壁の貼紙を讀んだとき、またびつくりした。貼紙によれば、これが宣傳にあつた、幕府時代にオランダからある大名に獻上されたダルマ型ハンドプレスといふことだつた。私は指を折つて數へてみた。十二歳は明治四十三年である。すこし年代が距りすぎてゐる氣がするが、もちろんこのオランダ渡りのハンドプレスそのものが、三十年前九州の片田舍で私の使つてゐた機械ではあるまい。しかし電動機が九州一圓にも普及したのは、もう大正になつてからだから、このオランダ渡りはその見本となつて、日本でも製作され、同じ型のものが九州の片田舍では何十年も使用されてゐたのであらうか。
私は偶然ながら昔の友達に逢へた喜びのほかに、印刷機械の歴史を四五十年遡ることが出來たのを覺えながら、その古風なダ
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