エニスだし、十六世紀初頭には全イタリーで四百三十六の印刷工場があつたといふ。ヴエニスのマヌチウス父子、ウエストミンスターのカクストン、パリのロバートらその他、それぞれに華やかな第一期西洋活字文化の花を咲かせた人々として有名である。彼らは獨自の種字を書き、鉛を流しこんだ。木製のハンドプレスで印刷して、活字のほかに木彫の頭文字で圖案化し、幾つもの色彩さへ應用した。同時に著述もし、書籍賣捌もやつた。彼らの多くはその印刷術の故に法王廳からある位を授けられたり、町や市の名譽職となつて、地方の文化の指導者ともなつた。しかし第一期の印刷文化は主としてバイブルや教義に關するものが多かつたと謂はれる。古典手寫本の飜刻などで、ウエストミンスターのカクストンは彼自身ラテン語その他の手寫本から飜譯したものが二十二種に及ぶといふ。つまり第一期の印刷文化はグウテンベルグの最初の印刷物が「三十二行バイブル」であつたといふことに象徴されてゐるといつてよからう。一方からいへばこの時期の印刷者たちは、教會や神學校、大にしてはローマ法王廳の庇護なしには成功できなかつたとさへいへるだらう。そのことはまた當時の印刷物が「流し込み活字」を主體にしてゐたとはいへ、非常に手のこんだ木版の輪廓や、手寫による複雜な圖案とか、色刷とかの美麗な印刷物であつたことと比例して興味あることである。
 印刷術の最初期が宗教文化と密接な關係を持つたことは西洋でも例外ではなかつたわけで、グウテンベルグやシヨフアーの印刷物にはわざわざ手寫本に僞せたものもあるといふ。一方では手寫本に僞せることでその價値を保ち、一方では美麗な印刷物であることで宗教的尊嚴をたかくしたといふ關係は、東洋における印刷術初期の歴史と相通じてゐるが、さてその活字を宗教と古典の世界から、近代的、大衆的、科學的な世界へ導びきだした最大の功勞者は、周知のやうに世界印刷術中興の祖と謂はれるベンジヤミン・フランクリンであつた。
 フランクリンが十三歳で印刷屋の小僧となつてから、十七歳の一七二三年フイラデルフイアに移つて以來週刊新聞を發行するまで、彼のイギリス渡りの二三枚の活字ケースがどんな重大なはたらきをしたかは、周知のやうに彼の「自傳」が彼がアメリカ憲法草案を書いたときのそれにも劣らぬ感動をもつて語つてゐるところだ。フイラデルフイアの町はすべてが新らしくすべてが草創であつ
前へ 次へ
全156ページ中148ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳永 直 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング