誌の編輯者トーマス・マツケラー(アメリカ人)が、西暦一八五五年に歌つたものだといふことであるが、この「活字の歌」の調子にみても、ヨーロツパや、殊にアメリカでは、活字はいまや近代文化の中心になりつつあつたことがわかる。この時期の西洋活字はもはや「流し込み」ではなかつた。電胎法字母による活字であり、デヴイツド・ブルースが發明した近代的な「ブルース式カスチング」による活字であつた。そして活字の任務ももはや教會所屬の宗教書印刷や、領主や封侯所有の歴史や、古典の手寫本を再刻する段階から飛躍して、ごく一般的な庶民の日常生活のなかで空氣のやうに普く作用する道具となつてゐたのである。
 西洋の印刷歴史書が説くところに從へば、十五世紀中葉グウテンベルグの「流し込み」活字は、十八世紀に至つて第二の開花期に達してゐたのであつた。つまりヨーロツパ大陸からアメリカ大陸へ活字が渡つていつてから、第二の飛躍が起つたのである。もちろんこの地理的事情と、印刷發達事情との時間的一致は世界産業の發達と聯關するところだらうけれど、ヨーロツパと比較すれば二世紀もおくれて輸入されていつた印刷術が、第二の飛躍をアメリカで遂げたといふ事情はなかなか興味ふかいことであつた。
 西暦の一四五五年ドイツで發明された「流し込み活字」は、「印刷文明史」によると、次のやうに流布していつてゐる。一四六五年イタリー、一四六六年ギリシヤ、一四六八年スイス、一四七〇年フランス、一四七三年オランダ、一四七三年ベルギー、一四七三年オーストリヤハンガリー、一四七四年スペイン、一四七七年イギリス、一四八二年デンマーク、一四八三年スエーデン、ノルウエー、一四八七年ポルトガル、一五三三年ロシヤ、そして北米合衆國が一六三八年であつた。もつともかういふ年代別も嚴密にはむづかしいもので、論者によつては若干の相違があるけれど、ドイツ、マインツを發祥地としてみるときこの波及していつた年代は地理的にみて理解できるであらう。グウテンベルグ及びその協力者フストとシヨフアーの活字を國境からはこんだのはライン河である。その下流はオランダへ、デンマークへ、スエーデンへはこび、その上流はスイスへはこびフランスへはこんだし、殊にローマへヴエニスへはこんだ。ヴエニスは十五世紀から十六世紀へかけて全歐洲での印刷文化の中心とさへなつた。いはゆる「イタリツク活字」を産んだのもヴ
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