からの經驗からいつても、木活字は材が黄楊《つげ》にしろ櫻にしろ、屈りやすく高低が狂ひやすい。印刷機がプレスでなくばれん[#「ばれん」に傍点]であれば尚さら汚かつたにちがひない。而も再び木版に代られて、室町以前とは比較にならぬ印刷文化の隆盛をみたのは、印刷技術の進歩といふよりはむしろ當時の社會的事情にあつたのだらうか。
私の目的はしだいに近づいてゐた。徳川末期になつて海外との折衝が頻繁になり、醫術にしろ鐡砲にしろ電氣にしろ、それらが武士や町人の間に研究され實踐されるに從つて、木版や木活字は何とか改良されねばならなかつたにちがひない。三百年前肥前長崎から逐はれた「活字鑄造機」のことを思ひだすよすがもなかつた人々は、たとひ蘭書によつてその片貌は察し得ても、グウテンベルグと同じやうな最初からの辛苦をかさねたことであらう。やがて大鳥圭介による鉛の彫刻活字が工夫され、「斯氏築城典刑」など、いはゆる幕府の「開成所版」なるものが出來た。寫眞で見ても、從來の木活版に比べると同日の比ではない。
しかし私のやうな印刷工から考へると、近代活字の重要性は彫刻しないことにある。字母によつて同一のものが無際限に生産されることにある。そして本木昌造はそれを作つた。全然の發明とは云へないまでも、日本流に完成したのである。凡ゆる日本印刷術の歴史家たちもひとしくそれを認めてゐる。彼等は本木を近代日本印刷術の「鼻祖」といひ「始祖」と書いてゐる。
私は本木の寫眞を飽かず眺めた。五つ紋の羽織を着た、白髮の總髮で、鼻のたかい眼のきれいな、痩せた男である。刀をさしてゐるかどうか上半身だけだからわからぬが、どの著書でも同一の寫眞であつた。それに私のやや不滿なのは、この近代活版術の始祖、日本のグウテンベルグとも謂はるべき人についての記述は、どの著書でも二三頁であつて、どの文章でも出典が同じらしく、幾册讀んでも新らしいものを加へることが出來ないことだつた。
本木昌造についてもつと知りたかつた。西郷隆盛や吉田松陰について知れるがごとく知りたい。私は肝腎のところへいつて物足りない氣がした。勿論研究などといふもので、新事實を一つ加へるなどどんなに大事業であるかは察することが出來る。しかし多くの著者は本木の活字完成を印刷歴史の一齣としてゐる傾向があつた。或は初心者の獨斷か知れぬが、本木の完成あつてこそ、日本の過去の印刷
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