い畑の隅に、跣足《はだし》で柄の長い鍬《くわ》をもった林のお父さんと、傍《そば》に籠《かご》をもってしゃがんでいるお母さんとがならんでいた。
「とても働いたんだネ、働いて金持になって、今のお店を作ったんだ」
「フーム」
「いまお父さんは市の収入役してるよ、アメリカ人でも、フランス人でもお父さんのところへ相談にくるんだよ」
「フーム」
 私は写真帳を見ながら、すっかり感心してしまった。そして林が何故《なぜ》、私のこんにゃく[#「こんにゃく」に傍点]売りを軽蔑しないか、それがわかった気がした。
 働いてえらい人間にならねばならない。日本ばかりでなく、外国へいってもえらい人間にならねばならないと思った。
 それからはこんにゃく[#「こんにゃく」に傍点]桶《おけ》をかついでいても、以前のようにひどく恥ずかしい気がしなくなった。――
 小学校を卒業してから、林は町の中学校へあがり、私は工場の小僧になったから、しぜんと別れてしまったが、林のなつかしい、あの私が茄子《なす》を折って叱られているとき――小母《おば》さん、すみません――と詫《わ》びてくれた、温《あたた》かい心が四十二歳になってもまだ忘れられない。
 その後、私はねっしんに勉強して小説家になった。林茂君もたっしゃでいれば、どっかできっとえらい人間になっていてくれるだろう。いま一度逢って、あのときのお礼を言いたいものだ。



底本:「徳永直文学選集」熊本出版文化会館
   2008(平成20)年5月15日初版
底本の親本:「風」桜井書店
   1941(昭和16)年8月20日
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2008年12月4日作成
青空文庫作成ファイル:
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