傍点]をぬく。諸君がとんぼとりにつかうもち[#「もち」に傍点]は、その芋をつぶすときに出来るおねば[#「おねば」に傍点]のことであるが、さてそのこんにゃく[#「こんにゃく」に傍点]屋さんは、はたらき者の爺さんと婆さんが二人きりで、いつも爺さんが、
「ホイ、きたか――」
と云って私にニコニコしてくれた。
「きょうはいくつだ、ウン、百くらい持っていって売ってこい」
頭をなでてくれたり、私が計算してわたす売上金のうちから、大きな五厘銅貨を一枚にぎらしてくれることもあった。
五厘銅貨など諸君は知らないかも知れぬが、いまの一銭銅貨よりよっぽど大きかったし、五厘あると学校で書き方につかう半紙が十枚も買えた。私はこんにゃく一つ売って一厘か一厘五毛の利益だったし、五十みんな売っても五六銭にしかならない。
ところが、その五十のこんにゃくはなかなか重い。前と後ろに桶《おけ》に二十五ずついれて、桶半分くらい水を張っておかないと、こんにゃくはちぢかんでしまうから、天秤《てんびん》をつっかって肩でにないあげると、ギシギシと天秤がしま[#「しま」に傍点]るほどだった。
――こんにゃ[#「こんにゃ」に傍点]はァ、こんにゃ[#「こんにゃ」に傍点]はァ、
大きな声でふれながら、いつも町はずれから、大きな屋敷が沢山ある住宅地の方へいった。こんにゃ[#「こんにゃ」に傍点]はァ、というのは、こんにゃく[#「こんにゃく」に傍点]だ、こんにゃく[#「こんにゃく」に傍点]だという意味で、大声でふしをつけると、ついそんな風に言葉がツマってしまうのである。
――こんにゃ[#「こんにゃ」に傍点]はァ、こんにゃ[#「こんにゃ」に傍点]はァ、
腰で調子をとって、天秤棒をギシギシ言わせながら、一度ふれては十間くらいあるく。それからまた、こんにゃはァ、と怒鳴るのだが、そんなとき、どっかから、
「――こんにゃく[#「こんにゃく」に傍点]やさーん」
と、呼ぶ声がきこえたときの嬉《う》れしさったら、まるでボーッと顔がほてるくらいだ。
五つか六つ売れると、水もそれだけ減らしていいから、ウンと荷が軽くなる。気持もはずんでくる。ガンばってみんな売ってゆこうという気になる。
「こんちはァ、こんにゃく[#「こんにゃく」に傍点]屋ですが、御用はありませんか」
一二度買ってくれた家はおぼえておいて、台所へいってたずねたりす
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