名を残すことはできなかったでしょう。初期のイプセンがスカンヂナヴィアの伝説から取材して書いた作品は、決して傑れてはおりません。また、もし、この時期に、後の時代に見るような社会劇を書いたとしても、おそらく、その視野のせまさは、彼に傑作を許さなかったと考えられます。三十五歳で彼は初めて「両王材」を書いて世間に認められ、その後三十六歳にして放浪の旅にのぼり、二十七年間というもの故郷に帰らなかった。この間のコスモポリタンとしての生活が、実に彼の社会的視野を広やかな豊かなものとし、彼の作品のテーマに一般的な普遍性を与えたわけです。で、放浪の旅のうち二十年を彼はドイツのドレスデン、ミュンヒェンに過したのですが、「ブランド」「ペエル・ギュント」以下、彼の傑作は、すべて国外で書かれました。この二十七年間の外国滞在中に、彼は五ヶ国の言葉を勉強し、読書の方面ではかなり上達しましたが、会話はその一ヶ国語も満足に話せなかったそうで、日常の用さえ弁じかねた。言葉が不便なところから足を封じられて、彼は自然書斎に閉じこもり、次から次へと創作にいそしむ機会をもったと言われております。では、そういう彼が、どうして当時最
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