けった、ことに裁判所の記事に眼をとめたということであります。七十歳になったイプセンは、述懐の詞《ことば》を洩らして、長い年月、外国を渡り歩いたものは、その心の奥底では、どこにも安住の地を見出せない、故郷すら他国であるといっておりますが、彼は実にコスモポリタンであり世界人であった。このコスモポリタンとしての生涯が、しかし、作家としてのイプセンに非常な寄与をしていることは、すでに申上げたとおりであります。
 思わず話が脇道へそれましたが、さて、今度、「復活の日」にかわって、帝劇の檜舞台にかけられる「ペエル・ギュント」について、ごく輪郭だけを申上げて話を終ることにいたします。
 この作も、すでに言うとおり外国で書かれたので、――一つ前の「ブランド」とおなじく南イタリーに滞在したころの制作に属します。作者が知人のペエテル・ハンゼンに宛てた手紙のなかで、「ブランドの後には、必然的にペエル・ギュントが来るはずだ」と言っているのでもわかるとおり、この二つの作は密接な関係をもつもので、イプセンの抱懐する思想を裏と表とから叙述した、広い意味の二部作でありまして、両々相俟って作者の世界観の全貌を示すもので
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