彼は掌《てのひら》で空間へ印を捺《お》す様にして押し止めた。
「いいえ。そうは行きません。何の関係も無い貴下が、知らない他人に勝手な疑いを掛けた訳でもありますまい。参って明しを立てましょう。こんな事は疑われた丈けでも取返しの付かない不名誉です。貴下は傷いた私の名誉を明瞭に恢復なさらなければなりますまい」
 彼はいっそ平謝罪《ひらあやま》りに謝罪ろうか、夫れとも逃げ出して了おうかと心に惑った。孰《いず》れにしても彼は悲しく成って来た。
「まあ貴女そう興奮なさらないで下さい。私は決して疑ったの何のと云う訳じゃ無いんですけど、新米の私が探偵研究時代に於ける単なる一つの出来事なんですから」
「研究ですって? 単なる一つの出来事ですって? 女だと思って人を莫迦《ばか》にするのも程があります。何の証拠も無いのに無垢の人間に疑いを掛けて、研究だとは何と云う云い方です。単なる一ツの出来事とは何です」声は段々|癇高《かんだか》い泣声に成って行った。瞼《まぶた》を潤おす涙も見えた。併も女は泣く事に依て一層勇気付けられ、一層雄弁に成るのであった。「口惜《くや》しいッ」独語《ひとりごと》の様にこう云って置い
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